あのときのわたしは健常者恐怖症|その2

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小学生のわたし

聴覚障害者だけが通う幼稚園に通っていたが、小学校は一般の地域の学校に通うことになった。
 
 
通常は健常者のみんなと一緒に授業を受けたが、
必修科目の国語と算数だけは「難聴学級」と呼ばれる、普通のクラスとは別に用意された教室で、同じ聴覚障害を持つ同級生と二人で授業を受けていた。
 
 
おそらくわたし達以外にも、地域の学校に通う聴覚障害者は別の教室が用意された人が割といるのでないだろうか。
 
 
 
本題に入るが、低学年(1〜2年生)については、特にこれといった問題はなく平凡な毎日を送っていたので、共有したい体験談があまりない。
 
そのため割愛させていただく。

初めての健常者の友達(3年生)

わたしには低学年まで健常者の友達が一人もいなかった。
 
 
だが、3年生でクラス替えが行われ、初めてわたしに一人の健常者の友達ができる。
 
 
現在は音信不通でもう会っていないが、わたしにとって彼は中学生までよく遊んでくれたたった一人の友達だった。
土日や祝日など休みの日さえあれば毎日家まで誘いに来て、目的地も特に決めず自転車でふらふらと遊びに出かけていた。
 
 
 
しかし、親からは少々よく思われていなかった。
と言うのも彼はいたずらや悪いことをして刺激を楽しむ、いわゆる悪友というやつだ。
 
 
普通に考えれば、人が悪いことをしてると「わたしは無関係だ」と距離をとって避けるべきだろう。
もしくはやめたほうがいいよと止めることが正解だと思う。
 
 
要するに友人は選べるということだ。
 
 
しかし、わたしにとってはたった一人の仲良い友達だった。
 
その友達を失うことが嫌だったのだ。
 
彼が悪いことを勧め、言うことを聞くと一緒になって喜んだり楽しんだり。その姿を見るのが何より嬉しかった。
 
よく小学生や中学生がたまって悪い事する集団の中には、そのような同じ心情を持つ子もきっと少なくないだろう。
 
 
具体的に何をしたのか何個か挙げてみる

前を自転車で漕いでるおばちゃんの目の前まで行き、クラッカーを鳴らして全力で自転車を漕いで逃げる。
 
BB弾銃で後ろ向いてるおじさんに向けて打ち、首元に当たったのを確認すると振り返って追いかけられる前に全力で逃げる。

当時のことを思うと、今でも何してるんだろう自分で未だに悔やみます。
 
幸いその後何も起こらなかったからよかったものの、上記の行動が原因で事故など二次災害が起きてしまうととシャレになりません。
 
 
良い子は絶対真似しないでくださいね…
 

学級崩壊(4年生)

ほとんどの人が学級崩壊って言葉を映画や本などでしか聞かないと思うが、わたしのクラスで実際に起きた話。
 
 
普通は1年毎、もしくは2年毎にクラス担任が変わると思いますが、4年生のわたしのクラスでは1年間に3人の先生が担任した。
 
つまり、

2人の先生を辞めさせた

 
ということである。
 
 
1人目の担任は中年くらいの男性の先生。
 
授業中であっても生徒は席を立って遊んだり走り回ったり、先生が注意しても「うるせえよハゲ!」と発言して止まることはない。
 
黒板に記述してる先生に向けて鉛筆や消しゴムのカスなどを投げつける。
 
もちろん先生が注意しても知らんふりしてまた続ける。
 
そのまま授業がなくなることがザラにあった。
 
 
とうとう1人目の先生は学校に来なくなり、2人目の若めのパワフルな女性が担任になる。
 
 
2人目の先生自身に対してのイジメはおそらくなかったが(うろ覚えでごめんなさい)
クラス教室の窓やドアの鍵を閉め、外から先生が入ってこないようにし、授業をやらせないということがよくあった。
 
 
もちろんその度に他の先生がたくさん集まり、30分ほど説得してようやく鍵を開けさせる。
もしくはドアを無理やり蹴飛ばして外すという想像以上の行動に出る先生もいた。
 
 
そのように何かしら問題を起こすたびに、パワフルが持ち味の担任の先生はクラスの前で大声で怒鳴り散らしていた。
ほぼ毎日だ。
 
 
その行動には訳がある。
 
 
普通、問題を起こす生徒がいたら直接呼び出して注意するのだが、先生達は犯人がわからないのだ。
 
1人目の担任の時も今回の担任の時も犯人の生徒はだいたい数人決まっている。
わたしもクラスの他の生徒も知っている。
 
でも担任から「誰がやったの!?」と聞かれても決まって知らないふりをする。
 
 
言わないのではない。言えないのだ。
 
 
先生に対する悪事が酷くて、チクった後自分の身に何が起こるか想像するだけで怖かったのだ。
 
 
それはわたしだけでなくクラスほとんどの生徒が思ったことだろう。
 
 
2人目の先生が辞める直前には喉が潰れそうだとクラス全員の前で泣きながら訴えていたのを今でも新鮮に覚えている。
 
 
2人目の先生が辞めた後には、ほぼ毎日校長先生や教頭先生、主任の先生などが授業中見に来るようになり、いつの間にかクラスの問題は起きなくなった。
 

イジメの標的はわたしへ(5~6年生)

正直、この2年間がわたしの今までの人生において最も苦痛だった。
 

ある人には殴られたり蹴られ
 
またある人には暴言を吐かれ
 
またある人には唾を吐かれ
 
またまたある人にはお茶をぶっかけられる

そんな出来事が日常茶飯事だった。
 
 
最初は殴られた時、たまに殴ってやり返したこともあったが、イジメがエスカレートするだけだったのでやり返すのも諦めた。
 
 
もちろん先生に見つかると注意されるが、そんなのはおかまいなし。
 
先生の見えないところでまた殴り始めるのだ。
 
先生に報告するのは全くもって無意味だった。
 
 
正直、暴力による痛みとかさほど気にならなかった。
 
それよりもみんなが見てる中イジメられている姿を晒すのが死ぬほど辛かったのだ。
 
 
止めようと試みる生徒など1人もいなかった。
 
 
いや、もしかしたらいたかもしれない。でもその生徒たちも自分が標的になるのが怖かったのだろう。
 

なんでわたしがイジメられるの?
 
耳が悪いから?みんなと違うから?
 
どうしてみんな見てるだけなの?
 
わたしを見てクラスのみんなが何かを話してる
 
でも上手く聞き取れない。君もわたしの悪口言うてるの?

 
わたしにとっては、周りの人の発言が全て自分への悪口に聞こえた。
 
耳が聞こえないせいでクラス全員が敵に見えてしまう。
自分の持つ聴覚障害が故、さらにわたしを苦しめた。
 
 
もちろん、親に相談しようと考えたこともあった。
 
でも結局はずっと言えずにいた。
 
 
わたしがイジメられてるという事実が屈辱で仕方なかった。
 
誰にも知られたくなくて、相談できずにいた。
 
 
それでも、毎日がどんなに苦しくても、逃げ出したくても、
とにかく親には勘付かれまいと平静を装って1日も休まず登校し続けた。
 
 
 
よくメディアにいじめ問題について取り上げられ、被害者は他の人に相談できず、1人で抱え込んでしまうという話を聞く。
 
その理由には上記のような心理が被害者にあるからだ。
 

この辛い毎日から解放されるなら死んだほうがマシだろうか
 
死んだらどれほど楽になるんだろう

 
そう思い何度か自殺を試みたこともあったが、死ぬことがとても怖くて結局はできなかった。
 
 
わたしの学校には同じ聴覚障害を持つ唯一の幼馴染がいた。
 
彼女もまたわたしと同じでよくイジメに遭っていた。
 
同じ仲間がいるだけまだ少し気楽だったかもしれない。
 
 
本当に今でもたまに思うんだ。
 
 
「彼女がいなかったら、今わたしは生きていたんだろうか」
 
 
 
次回記事へつづく
 

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