あのときのわたしは健常者恐怖症|その3
中学生のわたし
聞こえたフリをする聴覚障害者の心情
聴覚障害者と健常者の壁が最も感じられたのは中学生の時である。
中学生のわたしは、健常者と極力関わらないよう距離をとっていた。
と言うのも、わたしはマンツーマン、1(わたし)対2(健常者)くらいまでなら会話ができるが、集団の会話になるとうまく会話が拾えなく、間に入ることができなくなってしまう。
なぜマンツーマンなら会話ができるのか?
マンツーマンであっても声が小さかったり、うるさい環境であったりすると、うまく聞き取れないことがある。
でもそのたび気軽に聞き返すことができる。
(中学までは聞き返すこともためらうことが多かった。)
しかし、集団の会話になると「テンポ」が発生する。
健常者同士で流暢に会話のキャッチボールをし、面白い発言があるたびにドッと笑いが起こる。
そんな展開の中、「ごめん。聞き取れなかったからもう一回言うてくれない?」と度々お願いをすると、「テンポ」が崩れてしまい、それが健常者にとって不快に感じてしまうのだ。
もちろん、そんなこと気にしなくも大丈夫だと!と優しく声をかけてくれる健常者もいるが、テンポを崩してしまったときの不穏なあの空気が聴覚障害者には耐えられないのだ。
「聞こえたフリすると傷つくからやめてほしい。」と訴える健常者がいるが、それは健常者に気を使ってるからこそ、聞き返すことができないという解釈も取れることを理解してほしい。
聴覚障害者と関わらない健常者の心情
そして、中学校ではイジメというイジメは無かったものの、周りからもまた疎遠にされてるなと感じることが多かった。
健常者にとってはやはり、1人の聴覚障害者と耳について配慮しながらコミュニケーションを取るより、
周りにいる多数の健常者とコミュニケーションを取った方が楽しいというのが正直な心情だろう。
わたしがもし健常者だったら。そう考えても
というのが正直なとこです。
ですから、聴覚障害者のあなたが健常者と仲良くしたいと考えているのならば、相手から話しかけてくるのを待つのではなく、
自分から積極的にアクションを取るべきだとわたしは考える。
一人でいる方が楽
中学生の時、健常者に囲まれていたわたしは、とにかく1人でいることが何より気が楽だった。
教室の中でも、登校中でも、部活帰りでも、休憩時間であっても一人でいる方が良かったのです。
しかし、クラスの中でずっと一人でいると、周りから
「いつもぼっちだなあの人。」
と思われるのが嫌だった。
だから登下校中、近くにクラスメイトがいれば一緒にいるようにしたし、休憩時間も「ぼっちじゃなくて、あの人は読書が好きな人なんだな」と思われるよう毎日本を読んでいた。
今でこそわたしは、自分の生産性を高めるためによく読書をするが、学生の時のわたしは本の内容より、
とにかく周りに見栄を張る意図があったのだ。
聴覚障害者は作り笑いの達者
- 聞こえたフリをする心情
- 周りに見栄を張って聞き取れない集団の会話にわざと入る心情
二つの兼ね合わせた心情を持った中学生のわたしは「作り笑いの達者」だった。
相手が何か発言したけど聞き取れなかった。とりあえず笑ってごまかす。
それが本当によくあった。
何回も聞き返すと不機嫌になる人がいる。
めんどくさくなって「やっぱりいいよ。」と諦める人がいる。
それがわたし達聴覚障害者はかなりショックを受けるのだ。
繰り返し同じ発言をしてくれる人もいるのですが、少しでもめんどくさそうな顔をすると簡単に察してしまう。
良い意味でも悪い意味でも、わたし達聴覚障害者は顔を見て話すことがほとんどなので、健常者より表情を読み取ることに長けているのです。
ですから聞こえたフリをするのが良くないとはわかっても、相手の反応が怖くてつい作り笑いをするのです。
中学生時代を振り返って
小学生時代のイジメの経験から、「中学校では極力関わらないようにしよう」そう決めて健常者から距離を置く中学生時代を過ごした。
友達と笑い合うことはあった。でもそれはほとんど作り笑い。
気が付いたらわたしは中学を卒業していた。
振り返ればわたしには楽しい思い出が何一つ残らなかった。
イジメられることなく、穏便に過ごせた「安心感」より
何一つ楽しかった出来事が思い出せない「孤独感」だった
「あのときのわたしは健常者恐怖症」完。
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